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横浜地方裁判所 平成4年(ワ)3649号 判決

原告

中川俊彦

ほか一名

被告

畑本義和

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告中川俊彦に対し、一一四六万五四四三円及び被告畑本義和はこれに対する平成四年一二月二二日から、被告尾形運輸株式会社はこれに対する平成四年一二月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、原告中川美佐子に対し、一〇〇三万一九四三円及び被告畑本義和はこれに対する平成四年一二月二二日から、被告尾形運輸株式会社は平成四年一二月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決の主文一は、仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(一)  被告らは、各自、原告中川俊彦に対し、一七三八万七〇九二円及び被告畑本義和はこれに対する平成四年一二月二二日から、被告尾形運輸株式会社はこれに対する平成四年一二月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、原告中川美佐子に対し、一一八二万一九四三円及び被告畑本義和はこれに対する平成四年一二月二二日から、被告尾形運輸株式会社はこれに対する平成四年一二月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行宣言

2  被告ら

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

二  当事者の主張

1  原告らの請求原因

(一)  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

訴外中川恭輔(以下「亡恭輔」という。)は、平成三年一〇月二一日午後一時三〇分ころ、神奈川県川崎市幸区塚越三丁目四二二番地先市道(以下「本件事故現場」という。)の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)を歩行横断中、被告畑本義和(以下「被告畑本」という。)運転の普通貨物自動車(川崎八八あ一六九―以下「被告車」という。)に衝突されて転倒し、その後輪で轢過され、同日死亡した。

(二)  責任原因

(1) 被告畑本

被告畑本は、被告車を運転して本件事故現場手前道路を進行中、同道路は商店街で人通りも多く、かつ、前方には横断歩道が設けられており、自動車の間から道路を横断する者が出てくることが十分予見できたのであるから、前方を注視して、自動車の間から出てくる者の有無を確認し、被告車を徐行させるなど、その走行の安全を確認して運転すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠つたため、折から亡恭輔が前方の本件横断歩道を横断していたのに気づかないまま漫然被告車を走行させ、本件事故現場においてこれを亡恭輔に衝突させた。

車両等は、横断歩道等に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者等がいないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならず、この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない、とされている(道路交通法三八条一項)。少なくとも、被告畑本がこの道路交通法上の義務に違反したことは明らかである。

被告畑本が前記の安全確認義務を尽くすか、あるいは徐行して運転していれば、被告車を亡恭輔に衝突させることはなかつたはずであり、衝突させたとしても、亡恭輔が死亡するには至らなかつたはずである。

したがつて、被告畑本は、民法七〇九条に基づき、亡恭輔及び原告らが本件事故により被つた後記損害を賠償すべき義務を負う。

(2) 被告尾形運輸株式会社

被告車は被告尾形運輸株式会社(以下「被告会社」という。)の所有であり、本件事故は被告畑本が被告会社の従業員としてその配達業務のためこれを運行中に発生したものであるから、被告会社は、本件事故当時、被告車を自己のために運行の用に供していた者であり、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文に基づき、亡恭輔及び原告らが本件事故により被つた後記損害を賠償すべき義務を負う。

(三)  損害

亡恭輔は、本件事故により、事故当日である平成三年一〇月二一日死亡した。これによる損害は次のとおりである。

(1) 亡恭輔の損害 合計四六一六万五二一六円

〈1〉 逸失利益 二六一六万五二一六円

亡恭輔は、本件事故当時六歳で、両親である原告らは将来は同人に大学を卒業させて社会生活をさせようと考えていた。したがつて、亡恭輔は、大学を卒業する二二歳から六七歳まで稼働可能であり、各年間少なくとも大卒男子労働者の全企業規模計平均賃金六四二万八八〇〇円(賃金センサス平成三年第一巻第一表)程度の収入を得られたはずであるから、その逸失利益の現価は、右収入の二分の一を生活費として控除し、それに右の稼働可能期間に対応するライプニツツ系数八・一四(六七年から六年を差し引いた六一年のライプニツツ係数一八・九八から、二二年から六年を差し引いた一六年のライプニツツ係数一〇・八四を引いたもの)を乗じた二六一六万五二一六円となる。

〈2〉 慰藉料 二〇〇〇万円

亡恭輔は原告らの長男で、将来原告ら一家の大黒柱ともなるべき立場にあつた。亡恭輔に対する慰藉料は二〇〇〇万円が相当である。

(2) 原告中川俊彦(以下「原告俊彦」という。)の損害 合計七二五万五一四九円

〈1〉 治療費・葬儀関係費用等 小計五〇六万五一四九円

原告俊彦は、亡恭輔の治療費・葬儀関係費用等として次の費用を負担した。

ア 治療費 一〇万六五〇〇円

本件事故当日、亡恭輔の治療費として川崎中央クリニツクへ支払つた。

イ 文書料 二万七〇〇〇円

ウ 葬祭費 一〇六万六九六四円

エ 墓地・墓石代 三八六万四六八五円

〈2〉 弁護士費用 二一九万円

原告俊彦は、本件訴訟の提起・遂行を原告ら訴訟代理人に委任し、着手金・報酬として横浜弁護士会報酬規定により二一九万円を支払うことを約した。

(3) 原告中川美佐子(以下「原告美佐子」という。)の損害 合計一六九万円

弁護士費用 一六九万円

原告美佐子は、原告俊彦についてと同様、本件訴訟の提起・遂行を原告ら訴訟代理人に委任し、着手金・報酬として一六九万円を支払うことを約した。

(四)  相続

亡恭輔は原告らの子であり、原告らは亡恭輔の被告らに対する前記四六一六万五二一六円の損害賠償請求権を各二分の一(二三〇八万二六〇八円)の割合で相続した。

(五)  損害のてん補

原告らは、本件事故による損害について、被告会社から一一〇万円、自賠責保険から二四八〇万一三三〇円、合計二五九〇万一三三〇円の支払を受けたので、各二分の一(一二九五万六六五円)ずつ取得することとし、それぞれの損害に充当した。

(六)  まとめ

よつて、原告らは、被告ら各自に対し、本件事故に基づく損害賠償として、原告俊彦は一七三八万七〇九二円、原告美佐子は一一八二万一九四三円、及び右各金員に対する訴状送達の翌日(被告畑本については平成四年一二月二二日、被告会社については同月五日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

2  請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)について

神奈川県川崎市幸区塚越三丁目四二二番地先市道において交通事故が発生したこと、及び亡恭輔が死亡したことは認める。

(二)  同(二)について

否認する。

(三)  同(三)について

否認する。ただし、亡恭輔と原告らとの身分関係は認める。

(四)  同(四)について

否認する。ただし、亡恭輔と原告らとの身分関係は認める。

3  被告らの抗弁

(一)  自賠法三条ただし書の免責事由の存在

本件事故の発生について被告畑本に過失はなく、かつ、被告車には構造上の欠陥も機能上の障害もなかつたから、被告会社に本件事故による損害賠償責任はない。

被告畑本に過失がないとする理由は次のとおりである。

(1) 本件事故は、次のとおり、亡恭輔が時速約二〇キロメートルを下らない速度で走行中の荷物を積んだ二トントラツクの陰から対向車線の安全を確認することなく横断のため飛び出したことによるものである。

〈1〉 被告畑本は、被告車を運転して別紙「交通事故現場見取図」(以下「現場見取図」という。)記載の神明町方面から塚越踏切に差しかかり、一時停止した後、ローギアで発進し、踏切を越えてからセカンドギアに変え時速約三〇キロメートルで本件横断歩道に接近した。

〈2〉 当時、被告車進行車線の対向車線もほぼ切れ目なく車両が流れていたところ、被告車と右対向車線を時速約二〇キロメートルを下らない速度で進行中の訴外伊藤雅樹(以下「伊藤」という。)運転のダンボールを積載した平ボデイ二トントラツク(以下「伊藤車」という。)とがほぼ並列に並行したとき、伊藤車とそれに続く訴外上諏訪正士(以下「上諏訪」という。)運転の普通乗用車(以下「上諏訪車」という。)の間から、亡恭輔が被告車の進路前方に走つて飛び出してきた。亡恭輔は、訴外布川玲(以下「布川」という。)とそれぞれ自転車に乗つて、被告車進行方向右側の歩道上を被告車と同じ方向に進行中、自転車の篭に入れてあつたカラーボールがこぼれ落ち、車道の反対側(被告車の進行車線)にいつてしまつたため、自転車を降り、車道に飛び出したものである。

〈3〉 被告畑本は、右斜め前方三・六メートルの至近距離に亡恭輔を発見したが、衝突を回避することができず、本件事故に至つた。

〈4〉 なお、伊藤車の全高は少なくとも一九七センチあるのに対して、亡恭輔は身長が一二六センチであり、伊藤車の陰に完全に隠れてしまう状態であつた。一方、被告車は、フロントガラスの前にエンジンがあるタイプではなく、運転席が全面に出ており、運転席斜め前に横一五センチ・縦二五センチのバツクミラーがついている。運転席も乗用車に比べて高い位置にあるから、前方の見通しはよいが、前方を注視して走行しているときは、下方の見通しが悪く、かつ運転席横の視界がない。したがつて、横から飛び出しがあつた場合、とつさの処置が遅れやすい状態にあつた。

(2) 右によれば、次のとおり、被告畑本に被告車運転上の過失はなく、本件事故発生についての予見可能性はなかつたし、結果の回避も不可能であつた。

〈1〉 道路交通法三三条一項は、車両等が踏切を通過する場合における通過直前の一時停止義務を定めているが、一時停止後の通過方法等については具体的に定めていない。しかし、専用軌道を疾走する列車と交差するわけであるから、事前の安全確認だけでなく、一時停止後の発進・通過方法についても特別の義務があると考える。まず、踏切内で立ち往生しないように、ある程度の車間距離をとつて発進すべきであるとともに、発進後はエンストを引き起こすギアチエンジを控え、ローギアのまま一気に通過する義務がある。次いで、通過後も、後続車が踏切内で立往生しないように配慮する義務があり、その中には後続車の通過を容易にするため速やかに進行する義務も含まれている。これを本件についてみると、塚越踏切から本件横断歩道までは約一六メートルの距離であるから、被告畑本は、塚越踏切を通過して本件事故現場に接近する段階では、後続車が踏切をスムーズに渡れるように速やかな進行を配慮すべき義務を負担していたものというべきである。

試みに、平成五年六月二一日午後一時から午後二時までの一時間について、塚越踏切を通過した車両の本件横断歩道の通過・停止状況を調査したところ、通過車両台数三九八台、そのうち踏切を渡つたままの速度で横断歩道を通過したもの三〇七台、加速して通過したもの七九台、横断歩道に渡る人がいた場合に停止したもの一二台、であり、通過車両の九六・九八パーセントが速やかに進行することに配慮していることが明らかである。

以上からすれば、被告車が塚越踏切を通過した後のギア操作及び速度について被告畑本に非難される点は存しない。

〈2〉 亡恭輔は、前記のように時速二〇キロメートルを下らない速度で通過する伊藤車の陰から飛び出したものであり、被告畑本において、走行してくる対向車のトラツクの陰から飛び出してくる者があることを予見するのは不可能であつた。被告畑本に本件事故発生についての予見可能性はなかつたものというべきである。

〈3〉 また、被告畑本が亡恭輔を発見できたのは、三・六メートルの至近距離であつて、被告車は時速約三〇キロメートルで走行していたのであるから、発見後直ちに急ブレーキをかけたとしても、亡恭輔との衝突を回避することは不可能であつた。

〈4〉 なお、原告らは、被告畑本に道路交通法三八条一項所定の徐行ないし一時停止義務違反があつたとするが、被告車が本件横断歩道に接近した際の状況は、進行方向右側から人が道路を横断する気配が全くなかつたのであるから、「その進路の前方を横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合」であつたというべきである。

(二)  過失相殺

仮に、被告畑本に過失があつたとしても、亡恭輔の過失は極めて大きく、また、同人を監督すべき立場にあつた原告らに過失も大きい。本件事故による損害額の算定に当たつては大幅な過失相殺がなされるべきである。

4  抗弁に対する原告らの答弁・反論

(一)  抗弁(一)について

否認ないし争う。

請求原因で主張したように、本件事故現場付近は、両側に商店が立ち並ぶ人通りの多い場所で、横断歩道も設置されていたのであるから、一般的に、横断歩道あるいはその直近から道路を横断する者が現れることは十分予見できたはずである。しかも、本件事故直前、被告車前方右側歩道上には亡恭輔と布川(当時七歳)がいた。本件事故現場の道路は見通しの良い場所であり、被告車は運転席が高い位置にあつて視界の良い車両であつた。そして、塚越踏切と本件横断歩道との距離は十数メートルであるから、被告畑本は踏切を渡つた時点で容易に亡恭輔らの存在を発見し得たはずであり、僅かの注意を払えば、亡その動向は十分に察知できたはずである。察知できなければ被告車を徐行させるべきであつた。本件事故当時、もし、被告車右前方に自動車があつたのであれば、前方を注視するだけでなく、その自動車の後ろから人が道路を横断することがあり得ることを想定して徐行運転すべきであつた。被告畑本がせめて徐行運転していたならば、死亡事故に至らなかつたはずである。

なお、被告畑本は、被告会社の職業運転手として業務に従事し、仕事のたびに本件事故現場の道路を通行していたから、前記のようなその場所的状況を知つていたのであるが、午後一時三〇分ころ発生した本件事故当時、朝食も昼食もとらずに被告車を運転していたものである。空腹状態で自動車を運転すれば、注意力が低下するのは当然である。食事をとらず、注意力の低下したまま被告車を運転した被告畑本はもとより、かかる状態で被告車を運転させた被告会社の責任は重大である。さらに、被告畑本は、本件事故に関する刑事処分手続において自ら過失責任を認め、罰金三〇万円の略式命令を受けている。

(二)  同(二)について

否認ないし争う。

三  証拠関係

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  本件事故の発生

成立に争いのない甲第一号証、第三、四号証、第六号証の一・二、第一二号証の一・二・九・一〇、被告畑本本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、亡恭輔は、平成三年一〇月二一日午後一時三〇分ころ、神奈川県川崎市幸区塚越三丁目四二二番地先市道(本件事故現場)を歩行横断中、被告畑本運転の被告車前部に衝突されて転倒し、同車に轢過されたため、即時同所で脳挫滅により死亡したことが認められる。この認定に反する証拠はない。

二  被告らの責任原因

1  被告畑本

(一)  原告らは、被告畑本には、前方についての安全確認義務及び横断歩道に接近した場合における徐行業務を怠つた過失があり、民法七〇九条に基づく不法行為責任がある旨主張し、被告らは、これを全面的に争い、本件事故は亡恭輔が道路の安全を確認することなく走行中のトラツクの陰から飛び出したことによるもので、被告畑本には過失はない旨主張するので、検討するに、前記一認定の事実、前掲各証拠、成立に争いのない甲第五号証、第六証の三ないし六、第一二号証の三ないし七、原本の存在・成立に争いのない乙第五号証、本件事故現場付近を撮影した写真であることに争いのない乙第一号証の一・二、弁論の全趣旨により成立を認める乙第四号証、被告車の運転席の状況を撮影した写真であることに争いのない乙第六号証及弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。

(1) 本件事故現場付近の場所的状況は概ね現場見取図のとおりであり、本件道路は中央を黄色線で区分された片側一車線で、両側に幅員一・五メートルの歩道がある。道路両側には店舗・住宅が並んでいる。交通規制としては、制限速度四〇キロメートル毎時、両側終日駐車禁止等の指定がなされているほか、右見取図神明町方面から進行した場合、塚越踏切を渡り終えた地点から約一六メートルの所に本件横断歩道が設けられており、幅員四メートルのゼブラ模様で道路上に横断歩道の標示がなされている。右神明町方面から本件事故現場方向は直線で見通しは良く、右の標示は、神明町方面から見た場合、遮るものがなければ約五〇メートル手前の地点から容易に視認できる状況にあつた。ちなみに、本件道路の交通量をみると、本件事故当日(平成三年一〇月二一日)の司法警察員による実況見分中の午後二時四〇分から午後二時四五分までの五分間に本件事故現場を通過した車両等は、自動車八七台、自転車七台、歩行者一三人、であつた。また、被告側が、塚越踏切から本件横断歩道への車両の通過状況を調査した結果では、平成五年六月二一日午後一時から午後二時までの一時間の通過車両総数は三九八台であつた。

(2) 被告畑本は、被告会社の従業員としてその厚木営業所に勤務し、本件事故の一年半ほど前から、専ら被告車を運転して、被告会社が継続的に運送を請け負つていたハム製品等を精肉店などに配達する業務に従事していた。本件事故当日も、午前九時ころ被告車にハム製品等五、六〇〇キロを積んで厚木営業所を出発し、相模原市、横浜市旭区、神奈川区、鶴見区などを回つて川崎市に入り、JR川崎駅東口所在の店舗に配達した後、最後の配達先店舗のある同市幸区小倉に向かつた。

(3) 被告畑本は、JR南部線塚越踏切に差しかかり、現場見取図〈1〉の地点で一時停止した。この時、被告車から前方の本件横断歩道までの間、被告車進行車線上に他の走行車両・駐車車両等はなく、本件横断歩道の存在を十分視認し得る状況にあり、被告畑本自身も、これを視野に入れたうえローギアで発進し、同踏切を通過後、セカンドギアに変えて時速約三〇キロメートルで本件横断歩道に差しかかつた。

(4) 被告車の踏切通過中、ないし通過した当時、被告車の対向車線には、伊藤運転のダンボールを積載した平ボディ二トントラツク(伊藤車。その全高は、少なくとも一九七・五センチである。)が先頭で時速約三〇キロメートルの速度で塚越踏切に向かつており、その約二〇メートルほど後を上諏訪運転の普通乗用車(上諏訪車)が続いていた。伊藤は、本件横断歩道手前約一〇メートルの地点で、横断歩道付近の左側歩道上に男児が一人立つており、その近くに自転車に乗つた男児が一人いるのを認めて減速を始めたが、そのまま横断歩道を通過した。なお、上諏訪は、後方から本件事故の発生を見て、本件横断歩道手前に上諏訪車を停止させた。

(5) 亡恭輔(昭和五九年一二月二八日生。当時六歳。小学校一年生。身長一二六センチ。)は、学校から帰宅後自転車で遊びに出かけたところ、たまたま同級生の布川(当時七歳)が自転車で弟の運動会を見に東小倉小学校へ行こうとしているのに出会つた。二人は、神明町方面から亡恭輔が前を走つて塚越踏切を渡つたが、渡り終えた辺りで、亡恭輔の自転車の前の篭に入れてあつたカラーボールが段差による振動で篭から飛び出し、反対側車道(被告車進行車線)に転がつた。亡恭輔は、歩道上を自転車で少し先に進み、本件横断歩道を若干過ぎたところで自転車を降り、伊藤車の通過直後、道路反対側へ渡るため、本件横断歩道の現場見取図小倉方面寄りから一、二メートルのところから車道に走り出た。

(6) 被告畑本は、前記(3)のように時速約三〇キロメートルで本件横断歩道に差しかかり、右横断歩道の寸前あるいは横断歩道上で伊藤車と擦れ違つた直後、前方約三・六メートルの道路中央線付近に初めて亡恭輔を発見し、ブレーキをかけたが間に合わず、現場見取図〈×〉地点で同人に被告車前部を衝突させ、同〈イ〉地点に転倒した同人を轢過した。なお、本件事故発生当時、被告車と塚越踏切との間の被告車進行車線上に他の車両はなかつた。

以上のとおり認められる。甲第六号証の一、五、六、第一二号証の一、七中の被告畑本の供述及び同被告本人尋問の結果中右認定と抵触する部分は、前掲その余の証拠に照らして採用できず、他にこれを動かすに足りる証拠はない。また、右に認定した事実関係を超えて、被告らの責任原因の存否及び後記過失相殺の主張に対する判断を左右させるべき事実を認めることもできない。

(二)  右事実に基づいて被告畑本の過失の有無について判断する。

(1) 亡恭輔は、本件横断歩道から一、二メートル現場見取図小倉方面に寄つた位置の歩道に一旦佇立したうえ、同所から車道に走り出て本件道路を横断しようとしたものである。したがつて、同人は、厳密には横断歩道上を渡つていたわけではない。しかし、同人の走り出た地点が横断歩道の僅か一、二メートル(なお、仮に一、二メートルを超える数メートルであつても同断である。)の場所であり、同人と被告車との衝突地点も横断歩道から三・六メートルしか離れていない箇所で、被告車の進行方向から走行する車両との関係では、横断歩道の手前ではなく、横断歩道の終了地点にほとんど接着する位置関係にあつたというべきであることからすると、本件における被告畑本の過失の有無・程度を検討する場面では、亡恭輔は本件横断歩道上を歩行横断中に本件事故に遭つたのと変わるところはないと考えるのが相当である。

(2) ところで、道路交通法三八条一項は、「車両等は、横断歩道等に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならず、この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。」と定めている。そして、右の「当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合」とは、横断歩道に接近する車両等の運転者において、進路前方の横断歩道等を横断しようとする歩行者等がいないことを現に確認した場合をいうものと解すべきことは明らかである。現に確認したのでなければ、横断しようとする歩行者等がないか否かは明らかとはいえないからである。

(3) 本件事故当時、本件横断歩道は、被告畑本が被告車を塚越踏切の手前で一時停止させた時点でその存在を十分視認し得る状況にあつただけでなく、同被告は、現にこれを視野に入れて右踏切を渡り、被告車を本件横断歩道に接近させたのであるから、その際には、当該横断歩道付近の状況について、進行車線側はもとより、対向車線側についても十分な注意を払い、横断しようとする歩行者等がないことを確認したのでなければ、横断歩道の直前で停止することができるような速度で被告車を進行させるべきであつた(以下、これを「本件徐行義務」という。)。しかるところ、被告畑本が、進行車線側はともかく、対向車線側について注意を払い、そちら側から横断しようとする歩行者等の有無を確認した形跡は全く存しない。対向車線を進行する伊藤車の存在によつて本件横断歩道の対向車線側の状況が見えにくかつた、あるいは見えなかつた可能性や、対向車線の車両が一時停止ないしは徐行することなく横断歩道を通過した状況から、横断しようとする歩行者等はないものと速断したと考える余地もないではないが、仮にそうだとしても被告畑本の本件徐行義務が減殺されるいわれは存しない。そうすると、被告畑本は、進路前方に横断歩道を認めながら、これを横断しようとする歩行者等がいないことを確認しなかつたため、折から本件道路を横断しようとしていた亡恭輔の存在に気づかず、漫然と被告車を進行させたことにより、道路横断中の亡恭輔に被告車を衝突させ、本件事故を発生させたものというべきであり、少なくとも、本件徐行義務に違反したことは明らかである。この点において、被告畑本には、本件事故の発生について過失があつたと認めるのが相当である。

(三)  被告らは、被告畑本には過失がなかつたとして二、3、(一)で事実摘示したように縷々主張する。その所以に関する論理の筋道は必ずしも明確とはいえないが、要するに、亡恭輔は被告車の対向車線を進行中の伊藤車の陰から飛び出したもので、被告畑本が同人との衝突を回避し得る距離でこれを認めることは不可能であつたから、被告畑本に本件事故発生についての予見可能性はなく、結果の回避も不可能であつた、とするもののごとくである。しかし、これは、本件横断歩道の存在と、被告畑本が現にこれを認識して被告車を運転していたことを考慮の外においた立論というべきであり、次のとおり、到底採用の限りでない。

右立論の前提として、被告らは、被告車の走行と本件横断歩道の存在との関わりにつき、「被告車が本件横断歩道に接近した際の状況は、進行方向右側から人が道路を横断する気配が全くなかつたのであるから、『その進路の前方を横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合』であつたというべきである」と主張するが、これが当たらないことは前記説示のとおりである。そもそも、被告畑本は、本件横断歩道の被告車進行方向右側の状況については何らの確認もしていないのである。

また、被告らは、自動車の踏切の通過方法と通過後の走行方法について云々し、踏切を通過する自動車の運転者には「後続車が踏切内で立往生しないよう配慮する義務がある」として、これをもつて、被告畑本が本件横断歩道に臨みながら被告車を徐行させなかつたことを正当化しようとするかのごとくである。しかし、一般的・抽象的に右の義務を措定するのは頷けるにしても、本件における具体的状況にあつては被告車のすぐ後ろに続く自動車はなかつただけでなく、仮にそのような自動車があつたとしても、所定の車間距離をおいてさえいれば、前車が横断歩道のゆえに一時停止、あるいは徐行したとしても、踏切内で立往生することなど本来あり得ないことである。もし車間距離がなかつたゆえに前に進めず踏切内に立往生したとすれば、それは専ら後続車の責任である。被告らの右主張は、被告畑本が本件横断歩道に接近しながら被告車を徐行させなかつた過失を否定する論拠とはならない。被告側が塚越踏切通過車両について本件横断歩道の通過・停止状況を調査した結果も、右の判断を動かすものとはいえない。

右の次第であつてみれば、本件における被告畑本の過失の有無を論ずる場面では、亡恭輔の道路横断がいわゆる「飛び出し」であつたか否かはそもそも問題にする余地がないだけでなく、同人は、歩道上で自転車から降りて、一旦佇立したうえ車道に走り出たもので、例えば歩道奥の路地からそのまま走り出たわけではない。自動車運転者にとつて全く予想できないような典型的飛び出し事故とは異なるものというべきである。

(四)  以上のとおりであるから、被告畑本には本件事故の発生について過失があり、民法七〇九条に基づく損害賠償責任がある。

2  被告会社

右1の認定・説示、前掲甲第六号証の五・六、第一二号証の七、被告畑本本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被告車は被告会社の所有であること、本件事故は被告畑本が被告会社の従業員としてその配達業務のため被告車を運行中に発生したものであること、が認められる。この事実によれば、被告会社は、本件事故当時、被告車を自己のために運行の用に供していた者であることは明らかであり、自賠法三条本文に基づき、本件事故による損害を賠償すべき責任を負う。

三  損害

1  亡恭輔が本件事故により平成三年一〇月二一日に死亡したことは前記認定のとおりである。

2  亡恭輔の損害

(一)  逸失利益 二六一六万五二一六円

前掲甲第五号証、成立に争いのない甲第一二号証の八、原告俊彦本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、亡恭輔は、本件事故当時六歳(昭和五九年一二月二八日生。小学校一年生)の健康な男子で、本件事故に遭わず、また特段のことがなければ、中学、高校、大学と進んだものと思われる。したがつて、亡恭輔は、二二歳から六七歳までの四五年間稼働可能であり、同期間につき、賃金センサス平成三年第一巻第一表旧大・新大卒男子労働者全年齢平均年収額六四二万八八〇〇円程度の収入を得ることができたものと推認されるところ、本件事故時における逸失利益の現価は、生活費を右年収額の二分の一とし、右の稼働可能期間に対応するライプニツツ系数八・一四(六七年から六年を差し引いた六一年の係数一八・九八から、二二年から六年を差し引いた一六年の係数は一〇・八四を引いたもの。なお、右各係数については、原告らの主張に鑑み、小数点三位の値を四捨五入した。)によつて年五分の割合による中間利息を控除して算定した、二六一六万五二一六円と認めるのが相当である。

(二)  慰藉料 一八〇〇万円

亡恭輔の年齢・身分、その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、本件事故による死亡慰藉料は総額で一八〇〇万円と認めるのが相当であるところ、原告らは固有の慰藉料を請求していないから、右の全額を亡恭輔の慰藉料とする。

原告らは、亡恭輔が原告らの長男で、将来原告ら一家の大黒柱ともなるべき立場にあつたとして、二〇〇〇万円を主張するが、そのような事情を考慮しても、この種交通事故による損害賠償請求事案における慰藉料についての一般的考え方などにも照らすと、右のように認定するのが相当である。

3  原告俊彦の損害

(一)  診療費(原告ら主張の治療費) 一〇万六五〇〇円

成立に争いのない甲第七号証によれば、原告俊彦は、本件事故による亡恭輔の診療費(診察料・処置料等)として一〇万六五〇〇円を支払つたことが認められる。

(二)  文書料 二万七〇〇〇円

右甲第七号証及び成立に争いのない甲第九号証の一ないし八によれば、原告俊彦は、本件事故による亡恭輔についての診断書料・死体検案書料等の文書料として二万七〇〇〇円を支払つたことが認められる。

(三)  葬儀費用等 一二〇万円

原告俊彦は、葬祭費として一〇六万六九六四円、墓地・墓石代として三八六万四六八五円を主張し、成立に争いのない甲第一〇号証及び第一一号証の各一ないし四並びに弁論の全趣旨によれば、同原告は亡恭輔の葬儀関係、仏壇、仏具の購入及び墓碑建立等のために合計四九三万一六四九円を出捐したことが認められるが、亡恭輔の年齢その他諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある葬儀費用等としては、右のうちの一二〇万円をもつて相当と認める。

(四)  弁護士費用 後記のとおり。

4  原告美佐子の損害

弁護士費用 後記のとおり。

四  相続

亡恭輔が原告らの子であることは当事者間に争いがないから、原告らは、それぞれ前記認定の亡恭輔の損害賠償請求権を二分の一の割合で相続したものと認められる。したがつて、原告らの請求し得る損害額は、弁護士費用を除き、原告俊彦は二三四一万六一〇八円、原告美佐子は二二〇八万二六〇八円となる。

五  被告らの抗弁について

1  自賠法三条ただし書の免責事由の存在

被告会社は、自賠法三条ただし書の免責事由の存在を主張するが、被告畑本に本件事故の発生について過失があつたことは二、1で認定・説示したとおりであり、本件全証拠によるも同被告の無過失を認めることができない点において、右主張は採用の限りでない。

2  過失相殺

被告らは、亡恭輔の過失が極めて大きいとして過失相殺を主張する。確かに、二、1で認定した本件事故の発生状況からすると、亡恭輔は、自転車からこぼれ落ちたカラーボールを拾うことに心を奪われ、被告車進行車線の安全を確認しないまま車道に走り出てしまつたものと推認されないではなく、この点において同人にも本件事故発生についての一半の責任を措定する余地があるかのごとくである。しかし、二、1、(二)、(1)で認定・説示したように、本件事故は、亡恭輔が本件横断歩道を歩行横断中に発生したものと同視できるのであるから、被告畑本には本件徐行義務があり、同被告がこれを尽くしてさえいれば事故の発生は回避し得たと考えられる。しかも、同被告において右の義務を履践することは極めて容易なことであり、難きを強いることでも何でもない。進路前方に横断歩道を認めたのであれば、横断しようとする歩行者等がいないかどうかを確認し、いないことを確認できなければ、その直前で停止することができるような速度で進行すればよいだけのことである。以上のような事情と、一般に、交通整理の行われていない横断歩道上における歩行者と車両の衝突事故にあつては、歩行者の過失相殺率はゼロと考えられているだけでなく、本件事故現場付近の道路両側には店舗・住宅が並んでいること、亡恭輔はいわゆる児童であつたこと(これらは、一般に、歩行者の過失割合の減算要素と理解されている。)等を総合勘案するならば、亡恭輔の前記のような行動をもつて過失相殺の対象とし得るほどの過失ととらえることはできず、結局、本件事故については過失相殺をすべきではないと解するのが相当である。被告らの主張は採用しない。

六  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起・遂行を原告ら訴訟代理人に委任したことは明らかであり、弁論の全趣旨によれば、原告らは同訴訟代理人に横浜弁護士会報酬規定に基づく着手金・報酬を支払うことを約していることが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告らが本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告俊彦については一〇〇万円、原告美佐子については九〇万円をもつて相当と認める。

七  損害のてん補

原告らが、本件事故による損害について、被告会社から一一〇万円、自賠責保険から二四八〇万一三三〇円、合計二五九〇万一三三〇円の支払を受け、各二分の一(一二九五万六六五円)ずつ取得して、それぞれの損害の一部弁済として充当したことは原告らの自陳するところであるから、原告らの各損害額からこれを差し引くのが相当である。

八  よつて、原告らの本訴請求は、原告俊彦については一一四六万五四四三円、原告美佐子については一〇〇三万一九四三円、及び右各金員に対する訴状送達の翌日(被告畑本については平成四年一二月二二日、被告会社については同月五日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからいずれも棄却することとし、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根本眞)

別紙 〈省略〉

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